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ハジンは、カーテンの隙間から差し込む太陽の光で目が覚めた。
頭が、ガンガンと痛い。
起き上がると、さらに頭の痛みが強くなった。
ハジンは痛い頭を押さえつつ、周りを見てみると自分の部屋じゃないことが分かる。
ここは、どこだろう…?
広い部屋に置かれたシンプルでシックな家具たち。
布団の柄やインテリアから、男性の部屋なのが見てとれる。
目の前の本棚には、経営学の本がたくさん並んでいた。
ハジンが部屋の中を見回していると、部屋のドアが開いた。
「起きたか」
入ってきたのは、ソヌだった。
思いがけない人物に驚いて声も出せないでいると、ソヌはそんなハジンを一瞥してクローゼットへ足を進める。
そして、スーツの上着とネクタイを取り出しながら、
「昨日のこと覚えてるか?」
と聞いてきた。
ハジンは、昨日のことを懸命に思い出す。
たくさんお酒を飲んでしまったことは覚えている。
たくさんたくさん飲んで気持ち悪くなって、お手洗いに立ったところまでは覚えているが、それ以降が思い出せない。
お手洗いに立った後、どういう経緯でソヌの家に来ることになったのだろうか。
ソヌをあの人だと思って何か失礼なことを言ったりしたりしてないだろうか。
まさか――。
あの人だと思い込んで、強引に誘った…なんてことはないだろうか。
だから、ベッドにいる――?
ありえないと思いつつも、ハジンは一応布団をまくり自分の服装を確認した。
「何を想像してるんだ」
ハジンが何を思ったのか分かったようで、ソヌは呆れたように大きなため息をついた。
ハジンは気まずく、ははっと乾いた笑いでごまかすことしかできなかった。
「酔っぱらいの子供に手は出さない」
「子供じゃありません!もう28歳です」
ムッとして言い返すハジンに、
「8歳も年下なら、私からしたら子供だ」
と、ソヌも反論する。
ハジンはソヌが8歳年上だったことに驚いた。ソヌは若く見え、どんなに年上だとしてもせいぜい4、5歳年上なぐらいだろうと思っていた。
「それより、本当に覚えてないのか?」
ソヌが立て掛けてある全身鏡の前に立ち、ネクタイを結びながら鏡越しで尋ねてくる。
「え、っと、…私、昨日は凄く酔ってましたよね。それで、気分が悪くなって、お手洗いに行って、それで……」
ハジンは、必死に思い出そうと頭を抱える。
「本当に覚えてないんだな。あれも?」
そう言って、ソヌが顎でさす方向を見てみると、"あれ"の答えである紺色のスーツの上着がハンガーにかけられていた。
それは、若干濡れているように見える。
ハジンは、申し訳なさそうに首を横に振った。
「昨日は、君が酔っ払って寝てしまったから家まで送ろうとしたけど、誰も家を知らないと言うし、まったく起きないから、仕方なくここに連れてきたんだ」
ソヌは"まったく"のところを強調し、大袈裟に丁寧に説明する。
「そして、車からここまで君をおんぶして運んでいたら、その途中で――」
続きは言葉にせず、ソヌはため息をついて首を横に振った。
ハジンは、考えを巡らせ、一つの答えにたどり着いた。
上着が濡れているということは、洗ったということ――?
もしかして――。
ハジンはハッとして口を塞ぎ、恐る恐るソヌを見る。
ネクタイを結び終わり、ハジンの方を向いて立っているソヌは、目を細めてこちらを睨んでいた。
その目は、完全に呆れ返っている目だ。
やはり、自分の想像した通り、ソヌのスーツに嘔吐したのだと確信したハジンは後悔の念にかられた。
「…弁償します」
「君に払えるとは思えない」
明らかにブランド物であろうスーツを見て、ハジンは唾を飲み込んだ。
いくらするんだろうか?
金額を聞く勇気もなく、
「ぶ、分割で、いいですか…?」
そう言うのがやっとだった。
「もういい。弁償はしなくていい」
ソヌは嘆息をもらす。
ハジンは、すみません、と言いながらも、ソヌの言葉に甘えることにした。
「他のことも、何も覚えてないのか?」
「私、他にも社長に失礼なことしましたか?」
「いや…」
ソヌは、何か少し考えているような様子だったが、
「それより――」
ぐいっとハジンに顔を近づけた。
「君は――」
ハジンは、突然の出来事に心臓の音が聞こえるんじゃないか、というくらいドキドキした。
「病院は行ってるのか?」
「――は、はい?」
何を言われるのかと身構えていたハジンは、予想外の言葉に拍子抜けする。
ソヌは、ふーっと長く息を吐いてから、ハジンから離れスーツの上着に手をのばした。
「これまでの会話から推測すると、私は君の好きな人か恋人に似てるんだろう。だが、君は似てるんじゃなく、その人と私を同じ人だと思い込んでいる」
それは、否定できない。
ソヌがあの人かもしれない、という思いはずっと心の中にあるのだ。
「私は、君の好きな人でも恋人でもない」
きっぱりと否定され、ハジンは心臓がぎゅっと掴まれるような苦しさを覚えた。
だが、それよりもソヌの口振りの方が気になった。
「あの、……やっぱり、私昨日、社長に何か言ったんじゃないですか?」
そうでもなければ、こんな話を改めてしてくるはずない。
ソヌは、ハジンの質問には答えず、んん、と咳払いをしただけだった。
「とにかく、私は君が思っている人とは違う。ちゃんと病院で先生に診てもらえ」
「私が精神の病気を患ってるとでも思ってるんですか?失礼ですね」
ハジンは、ただ病院に行け、と言うソヌを睨みつける。
「違う人間を同じだと言うからだ。いい医者を紹介してやるから」
「私は、正常です!」
ハジンとソヌは睨み合う。
「だったら、その目をやめろ」
もう一度、ソヌがぐいっと顔を近づける。
「ど、どんな目、ですか」
「好きな人を見る目だ」
「なっ――。何言ってるんですか。そんな目で見てません!じ、自意識過剰ですよ!」
ハジンは、勢いよく首を横に振った。
「そうかな」
ソヌは、口角を少しだけあげて意地悪そうに笑ってから、まぁいい、と離れた。
ハジンはホッと胸を撫で下ろす。
「そ、そんなことより、仕事!仕事行かなくていいんですか?」
ハジンは、気まずさをかき消そうと、部屋にかけてある時計を指差した。時間は、8時になろうとしていた。
「そうだな。今日は、休みか?」
「あ、はい」
「そう。じゃあ、適当に帰って」
ソヌは素っ気なくそう言うと、足早に会社へ出社して行った。
一人になり、ハジンは、やっと心を落ち着かせることができた。
「帰らなきゃ……」
しばらくの間、ベッドの上でぼーっとしていたが、さすがにいつまでも人の家にいるわけにいかない。
ベッドから立ち上がり寝室を出る。
ドアを開けると、目の前には見たこともないくらい広いリビング。
「わぁ~っ…」
ハジンは、思わず感嘆の声をあげた。
さすが、社長というだけある。
悪いとは思いつつも、こんな家にもう来ることもないだろうと、リビングを少しだけ見て歩く。
すると、ハジンはテレビの横にある本棚の一段に写真が立て掛けてあることに気づいた。
近づいて見てみると、そこには幼い少年と母親らしき人物が写っていた。 ソヌと母親だろうか。
二人とも幸せそうに笑っている。
母親が皇后様じゃない…。
あの人の母親であり、心に深い傷をつけた原因でもある皇后。
もし、ソヌがあの人なら母親も皇后だと思ったが、やはりソヌは別人なのだろうか。
そう思った次の瞬間、見覚えのある物がハジンの目にとび込んできた。
写真たての前に、簪が置かれていた。
あの人からもらった、あの簪が――。
あの人と想いが通じあってからは、常に髪に挿していた、あの簪が――。
ハジンは、震える手を抑えながら、ゆっくりとそれに手を伸ばす。
どうして、これがここにあるのかということよりも、またこの簪を見ることができて、手に取ることができて嬉しさの方が勝(まさ)っていた。
あの人が、何か渡したかった、と言ってヘ・スにくれた初めての贈り物。
貰ったその時は、なんとも思っていなかった。むしろ重荷にさえ感じていた。
でも、あの人を知っていく度に、不器用なあの人が、どんな思いでこの簪を選んだろう、どれだけ迷って選んでくれたんだろう、と想いを馳せ、その度に愛しさが増した。
この簪は、あの人との想い出がたくさん詰まった、何物にも代えがたい大切なものだ。
ハジンは、少しだけ古びたそれを、いつまでもいつまでも胸に握りしめていた。
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