麗~after story~ ⑩


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ハジンとソヌは向かい合って座り、お酒を共にしていた。


2人きりで、お酒を飲むことになるなんて思ってもいなかったハジンは、自身で誘ったこととはいえ驚いていた。


「今日の講師役はどうだった?」

「おかげさまで、うまくいきました」

「呪文のおかげだな」

ソヌはニヤリと笑い、ショットグラスを持ち上げた。

「そうですね」

ハジンも笑って自身のグラスを持ち上げ、ソヌのグラスに軽く当てる。

カチッとグラス同士がぶつかり、ソヌもハジンも一気に焼酎を口に運んだ。


呪文だといって勇気づけてくれたときも、今も、普段の社長の顔とは違う子供っぽい一面に、ハジンの胸は高鳴った。




ご飯もお酒も進んで、しばらく経った頃、ハジンは気になっていたことを聞いてみた。


「ところで、こんなところで良かったんですか?」

ハジンが、店内を見回しながらソヌに聞くと、

「なぜ?」

と、逆に聞き返されてしまった。

「ここは家からも近いし、常連のお店だよ」

ソヌの返答に、ハジンは目を丸くする。


ハジンとソヌが飲んでいる場所は、いわゆる大衆居酒屋だ。

一般的には、大企業の御曹司であろう人が常日頃来るような場所ではないだろう。


ハジンが何を考えているのか分かったのか、ソヌはひっそりと笑った。

「御曹司と言っても、私は愛人の子供だから」


「えっ?」

予想だにしなかった言葉に、ハジンはお酒を飲む手を止め、ソヌを見つめた。


「母が病気で亡くなった8歳のときまで、父親が誰なのかさえ知らなかったよ」

ソヌは、そう言ってショットグラスに入っている焼酎を一気に飲み干した。


ソヌの表情から感情を読みとることはできない。


「父親に引き取られて、もう26年もの間あの家で暮らしているが、根っからの貧乏性は、そう簡単に抜けないさ」


ハジンは、ふとソヌの家で見た写真を思い出した。

写っていたソヌは幼く、年齢的に一緒に写っていたあの人がソヌの実母なのだろう、と考える。


自身が勤めている会社やグループのことについて、いくら疎いハジンでも、ワングループが、ホテル、デパート、化粧品会社の3つを経営していることは知っている。

ホテルとデパートは、規模が大きく、シェアもそれぞれ業界トップ3に入るクラスだ。

それに比べて化粧品会社は、規模が大きくない上に店舗数も少ない。


そんな会社を会長がなぜソヌに継がせのか、疑問に思ったことがある。

それは、愛人の子だから、ということか…。


もしかしたら、ソヌも、あの人と同じように家族との関係性に悩んだり、心に傷を負っていることがあるのだろうか?


「ご兄弟は?…いますか?」


つい、あの人と重ねて、心の中の声を口に出してしまっていた。


「兄と弟がいるが、両方とも異母兄弟だ。兄はホテルグループを経営しているし、弟は、いずれデパートの経営を父から継ぐだろうな」

ソヌは、先程と同じように焼酎を一気に飲み干した。


家族の話になった途端、明らかにソヌのお酒を口にするペースが上がっている。


「少し話しすぎたな。私のことより、君は?ご両親は何を?」

話を逸らしたいソヌの気持ちを察し、ハジンは、その質問に素直に答える。

「両親は、2人で小さな食堂をして暮らしてます。きょうだいは、2歳下の妹が1人います」

よくある一般的な家庭ですよ、とハジンは付け加えた。


聞き終えたソヌは、

「幸せな家庭なんだな」

と呟いた。


「え」

「幸せな家庭に望まれて生まれ、ご両親に愛情いっぱいに育てられ、真っ直ぐに育ったんだと、君を見てれば想像できる」

ソヌの言葉の端々に少し皮肉めいたものを感じたが、それは気のせいではないだろう。


ソヌは、ハッと気まずそうに視線を外した。

ハジンは、大きく深呼吸をする。


「確かに、私は、両親の愛情をたくさん受けて育ちました。家族のことで不満に思うことは何もないですし、恵まれていると思います。でも、だからといって幸せですか?」

「何?」

「望まれて生まれた人や、愛情をたくさん受けて育った人は、みんな幸せだと?幸せそうに見えても、悩んだり迷ったり、その度に、立ち止まったり苦しんだりしながら生きているんです。楽に生きてる人なんていません」

「分かったようなことを…」

ソヌは口の端を少しだけ上げて、また皮肉めいた笑いをした。


そんなソヌを見て、ハジンは、高麗時代のことを思い出した。


こんなやり取りを、あの人ともしていた。

雨乞いの儀式の前に、あの小舟の上で。

あの時の会話があったから、あの人にお化粧をしてあげたいと思ったのだ。

あの人の心を少しでも軽くしてあげたいと――。


ハジンは、思い返しながら涙腺が緩んでいることに気付き、慌ててソヌから視線を外した。


「悟ったようなことを言うな。腹が立つ」

「悟ってると言われようと腹が立つと言われようと、それが事実です。それに――」

「それに?」

ソヌが続きを促す。


「それに、…真っ直ぐ素直に育った人は、人を信じて疑わないが故に損することもあります。例えば、彼に裏切られたり、親友に裏切られたり…。そのせいで、一文なしになったり家もなくなったり…」

ハジンは第3者のことのように話すよう努めたが、ソヌは、口ぶりからハジン自身のことだと気づいたようだった。


「自分のことか?」

ハジンは肯定も否定もしなかったが、ソヌは、それを肯定の返事ととらえたのか、

「…私に似ているのは、その彼か?」

と、少し遠慮ぎみに聞いてきた。


ハジンは、ややあってから静かに首を横に振った。


「違います。彼は――」

言いかけて、高麗時代のことを思い出してから、誰かにあの人のことを話すのは初めてだと気付いた。


ハジンは、一瞬口に出すことを躊躇ったが、あの人のことを誰かに話したかった。


「彼は、心にとても大きな傷を負った人でした。そのせいで、家族とも他人とも距離をとり、一人で重荷を背負っているような人でした。でも、愛情を知らなかった分、人一倍愛情深い人でもありました。とても自分に正直で、欲もすべてさらけ出してくれました。だから、私は彼に歩みよることができたんです」


あの人にそっくりなソヌに向かって話していることが恥ずかしくも思えた。

あの人に、真正面から告白している気持ちになった。


「私も、少し話し過ぎました」


ソヌはそれ以上何も聞かず、しばらく、お互いにお酒を口にするだけだった。



先日ソヌに失態を晒したので、お酒は飲み過ぎないよう心がけていたのに、この勢いだとすぐに焼酎の瓶が空になりそうで、ハジンは慌ててグラスから口を離した。



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